こんにちは。ハルです。
今回は、『中森明菜』さんです。
長い間、病気の療養で活動を休止していた中森明菜さんが
8/30のTwitterで、公式アカウントの開設と再始動をつづった
メッセージが、、、
ファンだけでなく、衝撃的なニュースでした。
それでは一緒に見ていきましょう!
中森明菜

本名:中森明菜(なかもりあきな)
生年月日:1965年7月13日
出身地:東京都清瀬市・東京都大田区
学歴:明治大学附属中野高等学校 中退
職業:歌手・女優・アイドル
所属事務所:研音(デビュ〜1989年12月28日)
コレクション(1989年12月28日〜1991年)
コンティニュー(1991年〜1993年)
N.A.P.C.(1993年〜)
音楽プロダクション 楽工房(2000年〜2002年)
FAITH(2002年〜)
HZ VILLAGE(2022年8月〜)
レーベル:ワーナー・パイオニア(1982年〜1992年)
MCAビクター(1993年〜1997年)
ガウスエンタテイメント(1998年〜1999年)
@ease(Music@nifty内) (2001年)
ユニバーサル ミュージック ジャパン(2002年〜)
6人兄弟・姉妹(2男4女)の5番目、3女として生まれた明菜さん。
4歳から14歳までの10年間、バレエ教室に通っていたそうです。
(練馬区・横山昭子モダンバレエスタジオ)
明菜さんのあのスタイルと振り付けの動きは、バレエをしていた要素が
強いのかも知れませんね。。。
1981年、16歳の誕生日前に出場した『スター誕生』本線3度目の挑戦で
中森明菜さんは、「山口百恵さん」の『夢先案内人』を歌って、
同番組の史上最高得点:392点で合格する。
1度目・2度目の挑戦時には、「スター誕生」の審査員(松田トシ)からの酷評で不合格に。
「年齢の割には大人すぎて、若々しさに欠けますね。」
「歌は上手だけど、顔がとても子供っぽいから無理ね。
大人の歌を歌うより、童謡でも歌ってた方がいいんじゃない?」
この審査員には、相当嫌われていた??? と思えるような言葉ですよね。。。
中学生の少女に対して、ちょっとびっくりです。
これに対して、中森さんが抗議したのだとか。。。
『「スタ誕」では童謡は受け付けてくれないんじゃないですか!?』
これもまた、中学生が大人に(しかも審査員)対して、
なかなか言えない言葉ですね。。。
当時から、明菜さんのカラーは出ていたようです。😁
3度目の出場時には、中森明菜さんが常連の出場者でもあって、
スタッフの中には出場に難色を示す声も出ていたところを
チーフ・プロデューサーの 金谷勲夫氏(かなやいさお)が強く押して
明菜さんを出場させたのだそうです。
中森明菜さんがデビューした1982年は『アイドルの当たり年』と言われて、
「花の82年組」「花の57年組」などと呼ばれていました。
同時期のデビューには、こんな方たちがいます。
新井薫子、石川秀美、小泉今日子、嶋大輔、シブがき隊、原田知世、早見優、堀ちえみ、松本伊代、三田寛子、薬師丸ひろ子、渡辺徹
”伝説の歌姫” 中森明菜
1982年のデビュー以来、当時の音楽番組『夜のヒットスタジオ』『ザ・ベストテン』には常連。
次から次ぎへと、彼女の歌う曲は連続のヒット曲を記録し続けました。
明菜さんはデビュー初期の段階から、衣装・メイク・振り付けに自身が関わり、
楽曲制作にも積極的に意見を取り入れていくといった、当時のアイドルには珍しく
自分をプロデュースする能力が素晴らしい存在でした。
当時のアイドルといえば、、、、
自分の個性はおろか、発言、好み、見た目、その他もろもろ、、、
周りにガッチリとガードを固められて『造られたイメージ作品』のようなもの。。。
当時、『夜のヒットスタジオ』の司会:芳村真理さん(よしむらまり)も絶賛した
中森明菜さんのセンスの良さ!!!
ヘアスタイルから衣装のコーディネートまでも自分でプロデュースして、
毎回、新曲が出るたびに「今度はどんな明菜さんが見れるのか。。。」
ファンが楽しみにしていたのはもちろん、、、当時のファッションにまで影響していたほどです。
(男性版では、郷ひろみさんがそうでした!!!)
中森さん本人は、デビュー曲「スローモーション」のようなバラードを好んでいたそうですが、
「次の曲に何を歌わせるか、、、」となった時に、
1980年台の”ヤンキー文化”の「そんな時代を感じさせる曲を歌わせたい。」ということで、
選ばれたのが『少女A』だったのです。
曲を聞いた中森さんは、
「やだよ、こんなの。」
「なぜこんな歌を私に歌わせるのか理解できない。」
「歌わない!」
と、完全拒否したものの、、、無理矢理レコーディングに持っていかれたのだそう。😅

中森が投げやりに憮然として歌い、怒りと虚無感を滲ませた「少女A」は、
皮肉にも楽曲の狙い通りの雰囲気を醸し出すこととなった。
この曲は島田の思惑通りに大ヒットして中森の代表曲となり、
これを足がかりに『ザ・ベストテン』への出演を果たし、
新人賞を獲得することにもつながった。
引用:ウイキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%A3%AE%E6%98%8E%E8%8F%9C#cite_note-starbirth.3kaime-23
当時は、”少女性” を売りにする『松田聖子』さんという圧倒的な存在がいて、
彼女に対する ”不良性” としての位置付けが『中森明菜』さんでした。
当時は本当に、『聖子派』と『明菜派』で二分されていたといっても過言では無いほどに
「紅白での2人がどんな衣装で出るか?」「どっちがより素敵だったか?」
こんな話題が注目されていたのですよ。。。
『アイドルの当たり年』の中でも、ごぼう抜きの『伝説の歌姫』でした。
ー 1982年〜1989年 ー
1982年:「スローモーション」「少女A」「セカンド・ラブ」
1983年:「1/2の神話」「トワイライト-夕暮れ便り」「禁区」
1984年:「北ウイング」「サザン・ウインド」「十戒」「飾りじゃないのよ涙は」
1985年:「ミ・アモーレ[Meu amor e]」「SAND BEIGE-砂漠へ」「SOLITUDE」
1986年:「DESIRE-情熱」「ジプシー・クイーン」「Fin」「ノンフィクション エクスタシー」
1987年:「TANGO NOIR」「BLONDE」「難破船」
1988年:「AL-MAUJ(アルマージ)」「TATTOO」「I MISSED “THE SHOCK”」
1989年:「LIAR」
ー 1990年〜2010年 ー
1990年:「Dear Friend」「水に挿した花」
1991年:「二人静」-「天河伝説殺人事件」より
1993年:Everlasting Love/NOT CRAZY TO ME
1994年:「片想い/愛撫」「夜のどこかで 〜night shift〜」「月華」
1995年:「原始、女は太陽だった」「Tokyo Rose」
1996年:「MOONLIGHT SHADOW-月に吠えろ」
1997年:「APPETITE」
1998年:「帰省 〜Never Forget〜」「今夜、流れ星」「とまどい」
1999年:「オフェリア」「Trust Me」
2001年:「It’s brand new day」
2002年:「The Heat 〜musica fiesta〜」
2003年:「Days」
2004年:「赤い花」「初めて出逢った日のように」
2005年:「落花流水」
2006年:「花よ踊れ」
2009年:「DIVA Single Version」
2010年:「Crazy Love」
ー 2014年〜2017年 ー
2015年:「Rojo -Tierra-」「unfixable」
2016年:「FIXER -WHILE THE WOMEN ARE SLEEPING-」
近藤真彦さん(こんどうまさひこ)

1985年1月公開の映画『愛・旅立ち』でダブル主演での共演をした近藤真彦さん。
当時、「ジャーニーズ事務所の長男」といわれて、事務所のトップ
ジャーニーさん、メリーさんに可愛がられていた
「マッチ」こと、近藤真彦さん。
近藤さんとの交際は約5年間も続き、明菜さんの実家にも何度も行っていたそうで、
明菜さんの家族は、「明菜さんは近藤さんと結婚するのだと思っていた」のだそうです。
1989年7月11日、近藤真彦さんのマンションで自殺未遂を起こした
中森明菜さんは、そこから芸能活動を約1年休止することに。。。。
(24歳の誕生日を2日後に控えていた明菜さんでした)
近藤さんとの交際中、明菜さんは ”ちょっとした諍い” が原因で自殺未遂を繰り返します。
それは彼女の絶頂期であった85年ごろから始まったという事ですが、、、、
そして、明菜さんの記者会見は、、、
激動の80年台が終わろうとしていた89年12月31日の大晦日、
NHKの『紅白』が放映されている夜10時に設定され、
その様子は「テレビ朝日」で、生中継されました。
芸能史に残る ”金屏風会見” 。
(ビッグイベントにぶつけるのも目につきたく無い時の鉄則ですね。。。)

この “金屏風会見” が、さまざまな憶測を呼びました。。。
『明菜さんに「婚約会見だ」と騙して連れ出したのでは無いのか???』
というものです。
7月11日の事件後ずっと姿を消していた彼女が復帰する会見だという事で、
”金屏風” を用意したのはホテル側だったそうなのですが、
『明菜は騙されているのでは?』
そんなささやきが出てくるのは、芸能界の水面化での駆け引きを知っている人達だから?
自殺未遂の煽りを受けた近藤真彦さんを守る事を最優先事項にした
ジャーニーズのメリーさんは、一刻も早く ”ミソギ” としての『復帰会見』を
終わらせる必要があったのでしょう。
しかし、復帰するにも肝心の「ワーナー」や「研音」側の人間は誰一人として
病室へ入ることも許されず、お見舞いの花さえも明菜さんは捨ててしまったそう。
当時、明菜さんはこう言っていました。
「私が仕事をしていく上で一番信頼しなきゃいけない人たちを、
信頼することが出来なくなってしまった」(明菜)
近藤との関係がうまくいっていないことが自殺未遂の大きな理由と思われたが、
一方で仕事上の悩みを抱えていたのも事実。
当時の明菜は超売れっ子。カネのなる木には不純な輩も寄って来る。
明菜に甘言を並べ、研音から独立させようと目論む人間もいた。
明菜が信頼していたスタッフの悪口を吹き込んだ。
これによって明菜は人間不信に陥り、やがてトラブルに発展する。
引用:デイリー新潮 https://www.dailyshincho.jp/article/2021/05101100/?all=1
明菜は警察の調べに対し、自殺の原因について、近藤には言及せず、
研音への不満を口にしていたという。
それは近藤に累が及ばないよう、最後の砦を必死に守っているようでもあった。
彼女は近藤の言葉しか信用しておらず、彼の名代として病院に駆け付けた
メリーに全幅の信頼を寄せているようだった。
引用:文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/49331?page=2
40周年の今年、復活の裏側。
いきなりのSNSでの発信。。。。。。
『ゆっくりになってしまうと思いますが、歩き出していきたいと思いますので、
どうか見守って見守っていただけると嬉しいです。』
同時に、新たな個人事務所「HZ VILLAGE」の設立と、公式サイトの開設も
発表されているのですが、業界ではさまざまな憶測を読んでいるらしい。
” レコード会社を通さずに無断で活動を再開するというのは本来ならあり得ない ”
明菜さんは、2010年に ” 帯状疱疹 ” で芸能活動を無期限休止しています。
2014年の年末、『NHK紅白歌合戦』にサプライズ登場して再開しましたが、
その後も2017年のディナーショー以降は再び活動休止に。。。。
病気のため精神的な不調にも見舞われて、人前で歌う歌うどころか会うのさえも
限られた人のみ。
自宅からほとんど外出しない生活をされていたようです。
7月にNHKで『中森明菜 スペシャル・ライブ1989 リマスター版』が
放送されて大反響となったが、NHKとの交渉や連絡に際して
明菜サイドの窓口になったのは長年連れ添ったマネージャー男性ではなかったという。
同紙では「そのマネジャーも明菜本人と連絡が取れていないと聞いてます」
という関係者の証言が紹介されている。
引用:Business Journal https://biz-journal.jp/2022/08/post_314751_2.html
明菜といえば、休業中は「恋人兼マネージャーの男性と
都内のマンションで暮らしながら療養している」と伝えられていた。
その恋人男性は所属事務所の社長だともいわれていたが、
今回の発表で明菜は8月に新事務所へ移籍したとされている。
引用:Business Journal https://biz-journal.jp/2022/08/post_314751_2.html
長年連れ添ったマネージャーとは連絡を経ち、事務所まで移籍したことを考えると
『新たな側近的な人物』が今回のSNS開設・発表の仕掛け人なのでは???
「研音」からの独立の辺りから、中森明菜さんの周りには悪い人間が
ついて回っているかのように感じるのは私だけでしょうか?
今回の復帰がこのままスムースに行ってくれると良いのですが。。。
まとめ!
今回は、”伝説の歌姫” 『中森明菜』さんについてでした。
どうでしたか?
まさにドンピシャの時代に生きていた私にとって、
あの輝いていた明菜さんをまた見れる、彼女の歌が聴けるのは、
とっても嬉しいことです。。。
私の記憶の中の「中森明菜さん」からしたら、SNSが結びつきにくいのも
本当のところ。。。
Twitterで自撮りの明菜さんや、ご飯を食べている明菜さん、
色々見てみたい気もしますが、、、、
何よりもまず、健康で、自分の表現したい通りに
思う存分歌っている彼女に戻ってきてほしいです。
なんだかずいぶんと前から、TVで見る女優さん・タレントさん・歌手の方々の
ながめがカジュアル過ぎて、、、
見応えがないというのか、、、ときめく絵が無いというか、
ギャルやガールズでなくても、時代を引っ張るぐらいの見応えが欲しい。。。
すみません。バブル世代なので、、、
カッコイイ大人のアーティストの ”歌姫” がみたいのです!
『中森明菜 ”紅白のトリ” 確実』みたいな情報が流れている様ですが、
どうかスムーズに復帰して欲しいと願っています。
それでは、また。
アイキャッチphoto by ORICON MUSIC https://www.oricon.co.jp/news/2079913/full/
コメント